5月4日



ベランダから初夏の匂いが流れこんできて4月を失ったのだと知った。いずれ帰ってくる日常のどこにも4月は落ちていない。


もうずっと前から平穏とはかけ離れていたようにも思うけれど、それでもわたしがただ店のカウンターで頬杖をついて退屈を持て余す、ということさえ、かんたんにはできなくなった。店を閉めた朝、カラカラに乾いて木が割れてしまわないよう、ピアノたちを念入りに拭きあげてから水をたっぷり吸いこませた紙オムツを押し込み、埃よけの布をかけ、そうして最後に店の電気を落とした。言葉にすることはむずかしいのだけれど、わたしだけではない、世界中の店をもつ多くの人たちが、ぽつんとした気持ちを抱えたに違いない。


この日も店でかけていたコーコーヤの「砂漠のゆめ」、いつもは開店前や閉店後の誰もいない店でよくかけている。彼らの音楽に詩はないけれど、なんとなく人や動物や植物の気配、のようなものがあって、例えるならソファで寝そべって、母親が包丁で野菜を切る音を聞きながらうとうととしている子供のような、あの充足感。他人のいる場所でひとりになる、という贅沢さをあいしている。



aoyagi haruko

とるにたらない日々